2017-10

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でも僕は自主規制という言葉が嫌いです



 レイププレイが問題になった時に、いろいろ考えたんだけれども結論はいまだに出ない。西田さん(坑外のカナリアもさっき死にました iza 支店)曰く

変態ゲーム&アニメ肯定派のみなさんのロジックは

1.単純所持規正によって冤罪が引き起こされる恐れがある。
2.変態ゲーム、アニメによって被害を蒙る実際の児童は存在しない。
3.変態ゲーム、アニメが犯罪を引き起こすことは、科学的に実証されていない。
4.表現の自由を侵害する(笑)



 ということで、自分は擁護派として1~4の意見には賛成するのだけども。

「ってかまあ、『表現の自由』って反論を持ち出すんなら当然それは考えるべきだと思うんだけど、
強制妊娠だの拉致監禁・陵辱だの奴隷調教だの、
そういった変態ゲームやアニメの過激性ってのは
つまり『いま与えられてる表現の自由』に対しての誠実な挑戦なのかよ?
単に、『ヨソよりすげえ事やったほうが売れる』という売り手と、
『こっちのほうがスゴイから買う』っていう買い手の、欲望のパワーゲームが、
市場原理のもとで歯止めが利かなくなって、出口なしの状況に陥ってるだけの話だろ(嘲)」


 というのもよくわかるし納得できる。強姦とか拉致監禁みたいな話題を娯楽としたものが、表現という名のもとに擁護されてしまうのは気持ちが悪すぎる。ただ、性(やそれに限らない)暴力表現は映画や漫画などでも過激に行われてきた(例として、女子高生コンクリ詰め殺人事件を題材にした映画や漫画もあるけれど、それを擁護する側が「事件を風化させないために!」みたいなロジックを用いることに対して自分は激しく嫌悪感を覚える)し、もちろん小説だってその道を歩んできたはず。石原のしんちゃんが芥川賞取ったのも過激表現がウケタみたいなイメージがあるみたいだし、砂の女は男を監禁する話だし(ちとちがうか・・・)。それが芸術性を持っているか持っていないかにかかわらず、暴力表現の過激化はずっと行われてきたんじゃないのかな…

 だから自分自身でも論点のすり替えになってるとうすうす気づいてはいるのだけれども結局ゲームという比較的新しいメディアに対する嫌悪感が大きく影響していて、“過激な性表現”バッシングになっているのだとしたら今はまだそのゲームに対する評価は保留の立場にしておいた方がいいのでは(ゲームの特性については別記(*))と感じる。

 y_arimさんの「表現の自由」についてで、

実のところはまったき悪徳の者の為す悪徳表現であっても保護されるべきだとぼくは考えているのだが(究極的には、性犯罪者が獄中から性犯罪を描いた小説を発表することでさえも妨げられてはならない)、それは「表現者」に限られるのではないかとも思う。


 という意見にはかねてから同意していたのだけれども、少し前の事件であるカルデロン一家の騒動に対し外国人排斥を目指すような人々が、個人に対してのヘイストスピーチを行っていて、これが表現の自由のもとに認められて良いのかと思ったことが、今回の混乱のもととなっている。そこには(上の女子高生コンクリ詰め殺人事件に対する娯楽と同じように)嫌悪感しかなく、さらにヘイストスピーチを与えられる対象が、一般的に弱者と呼ばれる立場にいる人間で、そんな誇りなき行為をする日本人を、自分は認めていいのかと感じてる(笑)。それでも、ヘイストスピーチをゲーム表現に、外国人を強姦の被害者に置き換えてみると、無理にでもゲームを擁護している自分のダブルスタンダードに気付かされる。

 どのみち感情論ですね、わかります。

 ただ、この件に関して、産経新聞がひどく冷静なのは驚いた(黙然日記2009-06-14(Sun) 0614 なんとか洗濯、夜から雷雨。■[watch][assort][expression]産経「主張」、押し付け憲法論を廃する。他。)。性教育に対して、アダルトショップだと表現した議員の肩を持った新聞が、日本の誇りなきゲーム(笑)にたいしてなんも反応しないとは…


(*)ゲームに関して、自分はこの「レイププレイ」を体験したことはないのだけれども、ゲームというのは主体性を生じるもので(たとえばRPGが、主人公の行き先が自由に選べて{実はそれが一つの道だとしても}、自由に武器を買い、魔法を使うといったこと)アダルトゲームに関しても同じことだと思う。もちろん、fateみたいに選択枝そのものにあんまり意味のないものである、つまり主体性を必要としないものもあるけれども、マスターベーションを目的とするものに主体性がないはずはないしね。
 ただ、逆に考えると主体性を意図してゲームの中に入れることで映画や漫画小説にはない感動を引き起こすこともできる。ストーリーのあるRPGが多く神ゲーとされるところは主体性というポイントにもあると僕は思う。
 僕にとってそれを考えるきっかけとなったのがMGS1~3で、特にMGS2で大佐が「今すぐ電源を切れ」というあの恐怖感は、物語のテーマである“デジタル”の中で生きる自分たちが、主体性を持ってコントローラーを握り、デジタルに惑わされる雷電の行方を体感しながらも、コントローラーを握る自分たちさえも、デジタルに引っ掛けられてしまったということを表現していると解釈したときに(考えすぎだろうか)より一層ゲームの内容に食らいつくことができたことに由来する。

 だからこそ、自分はこれからもゲームをやり続けるよ(何というオチ)

6月27日追記

 そういえばMGS2にも自主規制された映像がありました。実は非常にみてみたい。
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