2009-06

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MGS新作について

小島プロダクションの新作がE3で発表されました。

E3 2009 KOJIMA PRODUCTIONS SPECIAL SITE

主人公は雷電だそうです。
ただ、E3のMS(つまりはXbox360)カンファレンスでの発表だったわけで、箱に電撃移籍と言われていますが(yahooニュース:『メタルギア』シリーズの最新作が発売決定 Xbox 360に電撃移籍 )PS3とのマルチプラットフォームであるというのが、有力説であるそうです。
 Xboxのサイトにも、専用タイトルではなくXbox 360の大作がいたるところに登場という形で説明されています。(参照

 また、個人的な勘になりますけど、MGSRは外伝的扱いで、MGS5などの系列作品がPS3で出ると。

 で、たぶんそれはマルチプラットフォームで出るんだろうなあと、感じています。PS3は何といっても、大失敗してますからね。特にメタルギアソリッド4も70億円もかけていたのに、SONYとの兼ね合いもあり、PS3独占でしか出せなかったですから、もうそろそろいい加減にね。 

 もしかしたらMGS4もXbox360で出たりして(ないか)


 にしても、PS3信者というかなんというか、PS3が海外市場で勝てないことは明白でしょうに。それを制作者にぶつけてもねぇ…ま、気持ちは分かりますが。シリーズのファンなのか、プラットフォームのファンなのか、まったく
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ことごとく外れる勘

MGS新作についての続き

MGS PEACE MAKER WALKER

が、発表されました。これは、MPOが、小島監督の作品ではなかっただけに(MPOはプロデュース)期待しています。グラフィックもかなり向上していそうです。

前回の日記では、E3のPS3のカンファレンスで、MGSRのマルチプラットフォーム化が言われるとか言って大外れ。二つ以外の新作情報も出るかと言ってたけど、出ないし。っていうか、PSP貸しちゃったよ(涙)

予想は当たらないなぁ…
追記
MGSRはやはりマルチだそうだ。あと、小島プロダクション新作「Castlevania Lords of shadow」が発表されたと。←ガイザページを思い出すのは俺だけですか(藁)

追記2
MAKERだと勘違いしてた…
「コルト・シングル・アクション・アーミー」の通称が「ピースメーカー」で、しかもオセロット愛用の銃というわけで、まさに次回作にふさわしいと思ってた俺。はずかしいですぅ…

その眼でおまえはいったい何を見ているというのか

先週の土曜日自分が短気である、ということを久々に感じた。うまく書けないので、現場は物語風に説明するぜ。

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 仲間内で飲み会があって、関東の大きな駅の待ち合わせ場所に集合したときのこと。その日は土曜の夜6時。待ち合わせの目印になるモニュメントの周りは多くの人だかりができていて……。
 でそこに、白いステッキを持った老人が現れる。点字ブロックにステッキを添わせながらゆっくりと。いつしか、老人は人だかりの中に入っていった。ステッキが他人の靴をなでる。1回、2回と。老人は点字ブロックから右に2歩ずれ、再び歩き出した。
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 何か、これを見てたとき一瞬で血が沸騰するのを感じた。自分は点字ブロックの道を遮っていた若い人に「道をあけて」と肩をたたき、必死な目で訴えたけれども、彼らにとって道をふさいでいたという実感は全くなく、自分に対し「なんだこいつ」という思いしかないはずだ。
 結局、飲み会が始まるくらいまで怒りがおさまらなかったのだけれども、その怒りは「誰も気付かないのか」というものと「結局お前も、あの老人のその後を無視しただろう」ということ、「4年以上この駅を使っていて気付いたのは今かよ」ということに対するものだった。平均的他人以上に多くの障害者たちと接して来た自分、さらに「弱者のためを」とか主張してきた自分にとって、自分自身が差別的行動をしてしまったと感じたことは明らかな自己矛盾で、痛すぎる経験。でも当事者やその現場にいなければ、想像なんてできるわけもなく、実感が湧く段階にすらない。こうして、差別に反対する人間でさえも(もちろん、自分はそうありたいと思いつつ、自分の中の差別意識の存在と、それと戦う必要性も感じていたが)、差別を無意識に見ないでいるということの表れか。

Mukkeさんが[歴史]史実を想像することならできるけど,実感なんて無理

…TVで大きなビルに飛行機が突っ込んでいた。衝撃映像特集でもやっているのかと思ったら,いつの間にかそれがとんでもない大事件だということになっていて(お恥ずかしいことに,厨房当時のぼくはWTCなんて知らなかった),気が付けばアフガンやイラクで戦争をやっていた。多分ぼくが本当に「実感」を持って歴史を語ることができるのはこれ以降のことだろう。勿論それにしても,本当にアフガンやイラクに行ったわけじゃないけれど,少なくとも,同時代を生きた,とは言える。けれど先の大戦は,満州事変や日中戦争や太平洋戦争は,ぼくにとっては70年近く昔の歴史上の出来事で,到底それについて「実感」を持つことはできそうにない。


とおっしゃっているけれども、(あの時の自分である)厨房にとって「映画みたいだ」という実感はあっても、これから起こるであろう戦争であったり、大勢の人が亡くなったということに対する実感はなく、不謹慎だがもし今
「あれは世界を驚かすためのアメリカの演出なんだよ、人も死んでないし、建物も壊れてない」
という事実が発見されたとしても、当事者ではない実感しか湧かず、それは9.11が起こった実感と当事者でないという大きな点においてあまり変わりがない。

それに、9.11以降の、大塚英志に言わせればハリウッドの脚本的なアメリカの戦争であったり、自己責任と言われた高遠さんたち人質事件(*1)であったりの、自分の中での実感を通り越したある意味電波でファンタジーな物語を、アメリカや自己責任者論者が歴史的に紡いでいるのを”実感”したとき、彼らの“実感”なんてものは存在していないと感じたが(嘲笑的に)、今となっては自分自身の“実感”に対しても疑問符ができてしまっている。それは、実感ではなく幻想ではないかという。

 なんというか自分の実感が信じられないという哲学か心理学的な話になってしまったけれども、知識を、感情のない実感と定義すると(できるかどうかはともかく)実感がなくても史実は語れるのではないかという実感はある。…よくわからないなぁ、自分(*2)。


*1実は彼らが日本人であるという現実を実感として得ないがために、彼らを非国民で平和ボケと避難したのだけれども、現実を実感として得ようとしないのなら、そういった人こそまさに“平和ボケ”している。

*2さすがに、すいません。自分自身もわからなくなってきた…。いい加減社会学の勉強と哲学の勉強をしたいのですが、初歩の参考書があれば教えてください

でも僕は自主規制という言葉が嫌いです



 レイププレイが問題になった時に、いろいろ考えたんだけれども結論はいまだに出ない。西田さん(坑外のカナリアもさっき死にました iza 支店)曰く

変態ゲーム&アニメ肯定派のみなさんのロジックは

1.単純所持規正によって冤罪が引き起こされる恐れがある。
2.変態ゲーム、アニメによって被害を蒙る実際の児童は存在しない。
3.変態ゲーム、アニメが犯罪を引き起こすことは、科学的に実証されていない。
4.表現の自由を侵害する(笑)



 ということで、自分は擁護派として1~4の意見には賛成するのだけども。

「ってかまあ、『表現の自由』って反論を持ち出すんなら当然それは考えるべきだと思うんだけど、
強制妊娠だの拉致監禁・陵辱だの奴隷調教だの、
そういった変態ゲームやアニメの過激性ってのは
つまり『いま与えられてる表現の自由』に対しての誠実な挑戦なのかよ?
単に、『ヨソよりすげえ事やったほうが売れる』という売り手と、
『こっちのほうがスゴイから買う』っていう買い手の、欲望のパワーゲームが、
市場原理のもとで歯止めが利かなくなって、出口なしの状況に陥ってるだけの話だろ(嘲)」


 というのもよくわかるし納得できる。強姦とか拉致監禁みたいな話題を娯楽としたものが、表現という名のもとに擁護されてしまうのは気持ちが悪すぎる。ただ、性(やそれに限らない)暴力表現は映画や漫画などでも過激に行われてきた(例として、女子高生コンクリ詰め殺人事件を題材にした映画や漫画もあるけれど、それを擁護する側が「事件を風化させないために!」みたいなロジックを用いることに対して自分は激しく嫌悪感を覚える)し、もちろん小説だってその道を歩んできたはず。石原のしんちゃんが芥川賞取ったのも過激表現がウケタみたいなイメージがあるみたいだし、砂の女は男を監禁する話だし(ちとちがうか・・・)。それが芸術性を持っているか持っていないかにかかわらず、暴力表現の過激化はずっと行われてきたんじゃないのかな…

 だから自分自身でも論点のすり替えになってるとうすうす気づいてはいるのだけれども結局ゲームという比較的新しいメディアに対する嫌悪感が大きく影響していて、“過激な性表現”バッシングになっているのだとしたら今はまだそのゲームに対する評価は保留の立場にしておいた方がいいのでは(ゲームの特性については別記(*))と感じる。

 y_arimさんの「表現の自由」についてで、

実のところはまったき悪徳の者の為す悪徳表現であっても保護されるべきだとぼくは考えているのだが(究極的には、性犯罪者が獄中から性犯罪を描いた小説を発表することでさえも妨げられてはならない)、それは「表現者」に限られるのではないかとも思う。


 という意見にはかねてから同意していたのだけれども、少し前の事件であるカルデロン一家の騒動に対し外国人排斥を目指すような人々が、個人に対してのヘイストスピーチを行っていて、これが表現の自由のもとに認められて良いのかと思ったことが、今回の混乱のもととなっている。そこには(上の女子高生コンクリ詰め殺人事件に対する娯楽と同じように)嫌悪感しかなく、さらにヘイストスピーチを与えられる対象が、一般的に弱者と呼ばれる立場にいる人間で、そんな誇りなき行為をする日本人を、自分は認めていいのかと感じてる(笑)。それでも、ヘイストスピーチをゲーム表現に、外国人を強姦の被害者に置き換えてみると、無理にでもゲームを擁護している自分のダブルスタンダードに気付かされる。

 どのみち感情論ですね、わかります。

 ただ、この件に関して、産経新聞がひどく冷静なのは驚いた(黙然日記2009-06-14(Sun) 0614 なんとか洗濯、夜から雷雨。■[watch][assort][expression]産経「主張」、押し付け憲法論を廃する。他。)。性教育に対して、アダルトショップだと表現した議員の肩を持った新聞が、日本の誇りなきゲーム(笑)にたいしてなんも反応しないとは…


(*)ゲームに関して、自分はこの「レイププレイ」を体験したことはないのだけれども、ゲームというのは主体性を生じるもので(たとえばRPGが、主人公の行き先が自由に選べて{実はそれが一つの道だとしても}、自由に武器を買い、魔法を使うといったこと)アダルトゲームに関しても同じことだと思う。もちろん、fateみたいに選択枝そのものにあんまり意味のないものである、つまり主体性を必要としないものもあるけれども、マスターベーションを目的とするものに主体性がないはずはないしね。
 ただ、逆に考えると主体性を意図してゲームの中に入れることで映画や漫画小説にはない感動を引き起こすこともできる。ストーリーのあるRPGが多く神ゲーとされるところは主体性というポイントにもあると僕は思う。
 僕にとってそれを考えるきっかけとなったのがMGS1~3で、特にMGS2で大佐が「今すぐ電源を切れ」というあの恐怖感は、物語のテーマである“デジタル”の中で生きる自分たちが、主体性を持ってコントローラーを握り、デジタルに惑わされる雷電の行方を体感しながらも、コントローラーを握る自分たちさえも、デジタルに引っ掛けられてしまったということを表現していると解釈したときに(考えすぎだろうか)より一層ゲームの内容に食らいつくことができたことに由来する。

 だからこそ、自分はこれからもゲームをやり続けるよ(何というオチ)

でも僕は自主規制という言葉が嫌いです »

よく読むmanga

何かあんま関係ないけど、よく読むmangaを晒してみる。作者別で。


1位 大塚英志


多重人格探偵サイコ (13) (角川コミックス・エース 23-30)多重人格探偵サイコ (13) (角川コミックス・エース 23-30)
(2009/01/05)
大塚 英志田島 昭宇

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2位 なるしまゆり

少年魔法士 (13) (Wings comics)少年魔法士 (13) (Wings comics)
(2005/12)
なるしま ゆり

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3位 冬目景

LUNO (1) (ガンガンコミックスデラックス)LUNO (1) (ガンガンコミックスデラックス)
(2003/02)
冬目 景

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4位 浅尾いにお

素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)
(2003/05/19)
浅野 いにお

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5位 藍川さとる、荒川弘

トラッシュカン (短篇集) (WINGS COMICS)トラッシュカン (短篇集) (WINGS COMICS)
(2008/11/22)
古張 乃莉

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鋼の錬金術師 22 (ガンガンコミックス)鋼の錬金術師 22 (ガンガンコミックス)
(2009/04/11)
荒川 弘

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しょっぱなから漫画家じゃねぇ・・・あと荒川弘が女性だと聞いて驚いた過去があります。

ちなみに、BLを書いてる(特に同人で)人が二人。なんという偏り。

病院に行くまでに

 救急車が発動してから連絡先に到着するまで、平均で10分弱だと聞いたことがある。(詳細不明、7分ぐらいだったかも)自分は救急車に運ばれたことが2度ほどあるが、はっきり言って寝心地はいいものではない。



 ところで、今朝3~4キロほど離れた皮膚科に行った。朝8時に自転車で家を出て、ついたのが8時半。9時診察開始なのに、そこにはもう27人ほどいた。結局、診察が終わったのは11時で家に着いたのは12時になっていた(いろいろ寄り道をしたけど)。

 以前関東圏にいたころは土曜日でも、診察時間と同じくらいに行けば、診察はすぐしてもらえた。8時半に家を出ても10時には帰ってこれる。でも、田舎に戻ってきた今は、午前中をつぶさないと病院には行けない。

 以前からある公立の病院は銚子市立病院のようになくなってはいないが、休日診療も、夜間診療も取りやめ、医者も6割程度しかおらず、緊急搬送もしなくなってしまった。そのため、小さな個人の病院が供給過多ですし詰め状態。診療開始時刻に行けば午後1時を回るなんてあたりまえで、そんな時間に来れない人はやっていけないと思う。インフラの整備も十分ではないため、山の方から来たお年寄りの方が下りてくると、昼になってて、1日を使ってやっと病院に通うことができる。

 でも、数年前までは、公立病院もしっかりやっていて、自分も救急車に乗ってその病院に搬送されたし個人病院の込み具合もここまでではなかったと思う。でも今は救急車が、迎えに来るまで数十分、搬送が1時間なんてざらだ。
 小泉さんが医療制度改革で行ったことは、ぼくにはよくわからないし、わからない状態で何かを言うのも億劫なんだけれども、間違いなく田舎の公立病院の医者の数が減ったのはそれのせいだと思う、それは言わせていただきたい。


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カナエ

Author:カナエ
いろいろ述べていきますが、
大したことは言いませんし、
間違ったこともいいますし、
そこらへんは大目に見てください。

あと、キツネではないです、念のため。

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